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#01 青葉やよいさん - Tokyo里親ナビ|子どもと里親の暮らしを知るサイト

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Talk&Real

里親暮らしのリアル 本音トーク(対談)

#01 青葉やよいさん(里母)67歳 × 中山健太さん(里子)30歳

Yayoi , Aoba & Kenta , Nakayama

生きる力、帰る場所

幼い頃に両親を亡くし、児童養護施設で暮らしていた中山健太さんは、小学校5年生から青葉紘宇(こうう)さん・やよいさん夫妻の元で暮らすことになりました。それから約20年。2児の父親となった健太さんは、今も月に1度は“実家”である青葉家を訪れ、交流を続けています。「ここで育たなかったら、今の自分はなかった」と語る健太さんと、やよいさんが、里親子暮らしのリアルを語り合います。

(聞き手=宮内珠希 文・写真=清水麻子)

 

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profile

あおば・やよい 専業主婦。夏休みや週末に、社会的養護が必要な子どもに家庭を体験させる東京都の「フレンドホーム」に登録したことをきっかけに、里親をはじめる。以来、健太さんを筆頭に延べ20人以上の里子を育てる。

なかやま・けんた 大工。4歳で母を亡くし、6歳で父を亡くす。その後、実家を含めて児童養護施設などの6か所で暮らす。小学5年生の時に青葉家の里子となる。2児の父。

※年齢は2018年8月現在

きっかけは、短期ステイ

━━健太さんが最初に青葉家に来たのは?

 

健太 小学校の5年生のとき。

 

やよい 東京都に夏休みや週末に短い間だけ、社会的養護の子どもを預かる制度があって、施設に子どもの紹介をお願いしたら、健太が来たの。施設の方に「かわいい子よ」って言われて。

 

健太 あんまり記憶がないんだよなー。ただ居心地が良かったっていうのは、覚えている。オカンもオヤジも、なんて優しい人たちなんだと思った。

 

やよい おうちもないし、親もいない「かわいそうな子が来るから」と思って、一生懸命に何かしてあげなきゃと思った。私のことを「お母さん」って呼んでくれて。

 

健太 覚えてなーい! でも、最初の頃は、キャラ作って、「お母さん」と呼ばなければいけないと思っていたのかも。本当にこの頃の記憶があまりなくって。

 

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今、健太さんは、やよいさんのことを「オカン」と呼んでいます。

中学時代は、「むかつくオーラ」全盛期

━━それから、健太さんは、青葉家の里子になるわけですね。

 

やよい はい。大変だったのは中学時代ですね。荒れた、荒れた。うそついたり、約束すっぽかしたり、けんかしたり。警察にお世話になったこともあって。内心「やだやだ、この子なんなのよ」と、思っていたわよ(笑)。学校の先生や、ボーイスカウトのリーダー、剣道の先生・・・・・・地域のいろんな方がかかわってくださったんだけど、全身から「むかつくオーラ」発していたわね(笑)。

 

健太 自分は自分、自由を満喫していたんだと思う。

 

やよい 当時の健太の口癖は「大人は誰も信用できない」だった。そりゃあね、考えれば当たり前のことよね。両親を亡くして、生まれた家を含めて6か所も住む場所を転々としたわけだから。大人の都合で1年も長く暮らした場所がないという感じでしょ。

 

健太 自分で自分をコントロールできなかった。今思うと、大人にわざわざ神経を逆なでするようなことをしてたんだよね。

 

やよい その結果、中3のはじめから高1の1学期まで、この家を離れて、児童自立支援施設(※)に行ったわね。大人は信用できないと言っていた健太を、私がここで見放したら、本当に誰も信じられなくなるんじゃないかと。そんなことになったら、本当に大変だと思った。

(※)児童自立支援施設 非行や生活上の問題を抱えた児童の自立を支援する施設

 

健太 でも、自分は事実を事実として淡々と捉えていた。あ、ここも無理だったかと。また住む場所が変わるのかと。今までいろいろ変わってきたから、居場所が変わるのは当然だと思っていた。

 

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オカンには、本当に感謝してる

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本当に大変な中学時代だったわよ!!

初めて愛おしいという気持ちが

━━離れてみて、どうでしたか?

 

やよい 結果的に、離れたことが良かった。初めて健太に、かわいそうというか、かわいいというか、愛おしいというか、不思議な気持ちが芽生えてきて。施設から連れて帰ろうかと思った。なぜか分からないけど。だから私、必死に健太に手紙を書くようになったの。手紙、覚えている?

 

健太 もちろん。大切に、うちに保存しているよ。

 

やよい 私も、健太が初めて返してくれた手紙を覚えているわよ。「お元気ですか。僕は元気ではありません」って書いてあった(笑)。

 

健太 あんまり覚えてないけど、何か不満をオカンに訴えたかったんだと思う。

「ただいま」と言える空間に変化

━━自立支援施設から、いつ青葉家に戻ってきたのですか?

 

やよい 高1のとき。戻ってきてから、私の健太への接し方も変わった。これまでのように「ああしてあげなきゃ、こうしてあげなきゃ」「私が育てなきゃ、いい子にしてあげなきゃ」って気負うのではなくって、日常の、ふつうの接し方になった。健太は健太、今のままでいいんだって。そしたら、健太の非行がおさまった。結果的に、1回離れてみてよかった。

 

健太 自分にとっても、青葉家がすごく居心地がよくなって、「ただいま」って言える空間になった。

 

やよい ふつうの家族になった感じよね。ふつうの家族って、お互い空気のようなもので、一緒にいること自体をあまり意識しないでしょ。でも、本当はとても大切なものだということを何となく分かっているのね。

それで結局、健太は18歳までずっとウチで過ごすことになった。この経験で後から分かったのは、子どもは、「かわいそうだから特別なこと」を求めているわけじゃなく、もっと小さい、つまんなーい、ふつうの家庭的なもの、ただ意識せずご飯を一緒に食べるとか、過度に特別視しないことを求めていたんだ、ということだったわね。

 

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空気のように、育ち、育て合う関係。

 

健太 今、思い起こすと、ずいぶん心配をかけたと思う。でもオカンもオヤジも、自分を自立に向けてくれたのが、良かったんだと思う。高3になると、買い出しして、メシ作って、洗濯ものも自分でできるよう習慣化してくれた。

 

やよい だって、社会に出ると、誰も手伝ってくれないでしょ。へたに私がやってあげたら、自分で生活できない人間になっちゃう。「親がいないんだから、18歳から自分の力でいくしかないんだから。仕方ないんだよ」と言って、高3の半ばから1週間分の食費を渡して、材料買って来ることから調理まで自分でやらせたわね。

 

健太 野菜炒めとか作ったなぁ。でも自立って、里子に限らず、世の中に出れば、みんな必要なことなんじゃないの。

答えを2つ用意し、選ばせるというオヤジの方法

━━お父さんからは、どのように育てられたのですか?

 

健太 全般的に怒られてばかりいた。嫌だったけど、でもオヤジはただ怒るだけじゃなくって、答えを2つくらい用意してくれるんですよね。まず、おまえのやり方でやった場合、世間一般でやる場合、で、俺(お父さん)はこう思うみたいな。「おまえの言っている通りにやると、絶対失敗するからな」と先に指摘されるけれども、それ以外の答えも用意してくれるんですよ。

 

やよい それも食事と同じで、決めるのは健太だという感じね。

 

健太 そうそう。でも、そういうのが本当に良かった。何でもかんでも、かまってくれるより、そうやって自分でできる力を大きくしてくれて、ちゃんと将来の先のことを考えられるよう仕向けてくれたんだと思う。それが結果的に、すごく自分のためになった。

 

━━かまってくれるとか、どこかに連れていってくれたりとか、習わせてくれたり、買ってくれたりとか、そうことではなくて?

 

健太 そういうこととは、ぜんぜん違います。いろんな子どもがいるんでしょうけど、自分の場合は、自分の下に、弟分のような里子がたくさん来たので、兄貴みたいなことをさせてもらえたのもいい経験になった。

 

やよい 延べ20人以上の里子を育てたから、長男の健太は、本当に頼りになった。

 

健太 うん。自分も気づいたことがたくさんあった。青葉家に関わっていなかったら、中山健太という今の自分っていうものが構成されていなかったと、本当に思う。

自由という名の責任

━━今は、ご結婚されて、ご家族もいらっしゃるんですね。

 

健太 2人、子どもがいます。子どもたちにいつも言っているのは、「パパには育ての親と、生みの親がいるんだよ」ということ。それでいいんじゃないかと思っていて、育てる側も育てられる側も、もっと、そういう方があるということをもっとオープンになれば。だって、そんなこと気にしていたら、生きていけないじゃないですか。

 

6 2018
健太さんは、結婚して新しい家庭を持ち、2児の父になりました。

 

━━子どもさんへの教育方針は? 今の時代、大学に入らなきゃという風潮も強いですね

 

やよい 行きたい子どもには、行かせたらいいと思う。でも、みんながみんな大学行かなきゃ、っていう今の社会の空気は、ちょっと違うような。

 

健太 違う、違う、全く違う。自分は18歳で自立して、鳶、電気屋さん、ずっと建築関係をやってきたけど、人間的に惹かれる親方が多くて、恵まれていたし、毎日充実している。結婚してから親方に「学校に行ってみなさい」と勧められて、25歳で専門短期大学に入学して、働きながら勉強をしたんだけど、自分のお金でやってるから、やる気も違ったし、勉強が楽しかった。

大学なんて自分が行きたいと思ったときに、いつだって行けると思ったんで、自分の子どもにも、まずは人にやさしく、挨拶できる、そして人に迷惑かけないことを大筋で教えて、あとは、責任をもって、自由に生きてもらいたいと思う。

青葉家で学んだのは「自由という名の責任」だと思うんです。夜遅くに帰ってきても、翌朝起きられなくて困るの、結局は自分じゃないですか。自分が今、それを子どもたちにやっているということは、青葉家では、結婚して家庭を作るときのモデルを教えてもらったということだと思います。

それと自分、いつか里親やりたいと思っています。まだ子どもたちがチビなのでできないですけど。落ち着いたら、始めたいです。

 

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「いつか、オカンやオヤジみたいになれたらって、本気で思っています」と健太さんは話します。

 

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