養子縁組Story#05
E川さんご夫妻(47歳×53歳)
「血縁にとらわれずに、子育てを楽しんでほしい」
E川さんのご夫妻が、当時3歳だったY太郎くんを児童養護施設から迎えて、今年で約9年となりました。明るく、おおらかな子育て観のもと、Y太郎くんは社交的でスポーツ好きの小学6年生(12歳)に成長しました。E川さんご夫妻は、「どんな子育てにも苦労や喜びがある。血縁にとらわれずに、成長を楽しんでほしい」と、語ります。
(聞き手・文・写真=清水麻子)
E川さんご夫妻 <2012年、東京都の養子縁組里親登録>
夫 会社員。趣味はパソコン、DIY、ドライブ、子どもと遊ぶこと。
妻 パート勤務。お菓子作りが趣味。最近は、甘さ控えめのケーキ作りにはまっている。
※年齢は2021年9月現在
思春期の真っ最中
━━息子さん、身長が高いですね。
夫 170センチを超えまして、体形だけ見ると高校生のようです。でも、中身はまだまだ小学生です。
妻 小学4年生の終わり頃から声変わりがはじまって、同時に身長が伸びてきて、気づいたら私を超えていました。体を動かすことが得意で、ずっと水泳を続けてきましたが、最近はボクシングをはじめました。
━━ ボクシングですか!
夫 はい。YouTubeの影響を受けて興味を持ったので、近くのジムに一緒に見学に行ってみました。「習いたい」と言うので、通わせることにしました。僕も、たまに息子と一緒にトレーニングを楽しんでいます。
妻 最近は運動会でリレー選手に選ばれました。社交的な子なのですが、最近は年頃なのか、恥ずかしいみたいです。
夫 僕も小さい頃から体格が大きく、嫌でも目立ってしまいましたので、息子の目立ちたくないという気持ちが分かります。
妻 思春期の入り口にいるので、この1~2年は余計なことをしゃべらなくなってきました。でも、もともと明るい子なので、いろいろありますが、毎日楽しく過ごしています。
━━ 9年前に特別養子縁組を希望されたのは、どうしてですか?
妻 私たちは結婚が遅く、1年ほど不妊治療を経験しました。でも、お金はかかるし治療も合わなかったので、早々と諦めました。2人で楽しく生きていくのもいいかなと思っていたのですが、2人とも子どもが好きだったので養子を育てるのもいいかもね、ということになって、児童相談所に行きました。
夫 当時はまだインターネットにも情報が少なくて、児相に聞きに行くのが早道でした。
妻 それからすぐ、タイミングよく研修を受けることができて、その翌月には「3歳のY太郎くんという子がいます」というお電話をいただきました。
━━ 順調なスタートだったのですね。
妻 はい、すごく順調でした。児相からお電話があった後すぐ、仕事中の主人に電話して、「受けていいよね」って言ったら、「ああ、いいよ」というので、すぐ児相に伝えました。そうしたら、「一晩は考えましょう」と言われました(笑)。
新生児を育てたいという方は多いけれど、3歳というやや大きな子どもの縁組を希望される方は少なかったようです。私たちは特にこだわりはなかったので、早くご縁があったのかもしれないです。
夫 だからY太郎とめぐりあえたのだと思う。
リビングには、家族の干支の置物を飾っています。
「施設に戻りたくない!」
━━ 交流中はいかがでしたか?
夫 息子が暮らしていた施設は遠い場所にあったので、車を購入しました。あの頃は、無我夢中でした。
妻 私たちの思いが熱すぎたこともあって、初日のY太郎は固まっていましたね。施設の職員さんから「ちょっと離れましょうか」と言われたりしました。一呼吸おいて、またちょっとそろそろと近づいて、という感じで仲良くなっていきました。
夫 当時は、とにかく仲良くなりたいという気持ちが強すぎました。
妻 でも当時は本当にかわいかったよね。今もかわいいですけどね(笑)。
━━ 施設には週末ごとに通われたのですか?
妻 平日も、2~3日置きに、ですね。平日は私1人が電車で、主人の休日や夜勤明けには、2人で車で通っていました。
夫 2回目くらいから、一気に近くなった感じがあったよね。
妻 そうね。「お庭にあったよ」と、葉っぱを持ってきてくれました。主人が肩車をしたらすごく気に入ってくれました。
夫 息子が喜ぶので、肩車をしながらスクワットをしていた思い出があります(笑)。
妻 交流から帰ってきたらぐったりして、「子育てって大変」と思いました。それでも楽しかったですね。施設近くの公園や大きな体育館で遊び、お弁当を作って持って行き、一緒に食べました。「次は何食べたい?」と聞くと、「ウインナーと玉子焼きとミートボールがいい」とか言うので、「じゃあ、今度、作っていくね」と。
━━ すごく楽しそうです。
妻 はい、すごく楽しかったです。「デザートは何がいい?」と聞くと「プリン」と言いました。「じゃあプリンも持っていくね」と返すと、喜んでくれました。施設では、「自分の分のおやつ」が決められていて、おかわりに慣れていませんでした。「もっとある?」と聞かれたとき、「あるよ、あるよ、いっぱい食べてね」と言うと、とびきりの笑顔を見せてくれました。
夫 毎回、僕たちが行くことをすごく楽しみにしてくれたね。
妻 そうね。すごく早いスピードで私たちに慣れてくれたので、3か月後にはもう自宅に来られる状態になりました。ちょうどクリスマスの頃で、「プレゼントは何がいい?」って聞いたら「自転車」と言うので、補助輪付きの緑の自転車を買いました。
夫 そして1泊ができるようになりました。お正月はけっこう長く泊まり、一緒におせちやお雑煮を食べました。外泊の交流が終わって翌朝、施設へ送っていくときには「施設に戻りたくない!」と泣くので、それが苦労だったといえば苦労だった点かもしれない。
━━ とても順調なスタートですね。
妻 そう見えますよね。でも委託になった瞬間から、俗にいう試し行動がはじまりました。
「お風呂入ろう」と言うと「いやだ」、「ご飯食べよう」と言うと「いらない」……。何を言っても「いやだ」と首を横に振っているので、どうしようかと思いました。
━━ どのくらい続いたのですか?
妻 幼稚園に入るまで2~3か月は続きました。主人は「子どもはそんなもんだ。たいしたことはない」と気にしていませんでしたが、私は心配でした。養親や里親さんたちが集まるサロンに出かけて相談したら、経験者の先輩たちに「ここに来られたのだから大丈夫。私は当時、サロンにすら来られなかったよ」と言われました。すごく励まされました。
当時、息子は私の言うことに聞く耳を持たなかったので、私は嫌われていると思ってしまいました。でも、時間の経過とともに、「ママ、抱っこ」と言ってくれるようになっていきました。
Y太郎くんが描いた家族の肖像画
子育ての苦労は乗り越えられる
妻 試し行動が終わったと思ったら、今度は幼稚園でトラブルが発生しました。行動的な子なので、先生から「座っていましょう」と言われても走り続けていて、よく叱られました。
周囲の子たちは、おりこうに座っていました。息子だけが叱られているように思えたので、先生に息子の生い立ちを説明しました。でも深い部分までは理解してもらえず、私が自宅で「先生の言うことを聞きなさい」とY太郎に怒ってしまう悪循環に陥ってしまいました。
夫 走っているのは息子だけでなかったし、子どもが動きたいのは自然なことで理不尽だと思ったので、僕は妻に「Y太郎に理由も聞かずに怒るのは、やめたほうがいい」と言っていました。頭ごなしに怒っても、子どもはなぜお母さんが怒っているのかの理由が分からないと思いました。
妻 主人の冷静なアドバイスもあって、私はY太郎に、先生の言うことをきかない理由を聞くようにしました。そうこうしているうちに年長になって、Y太郎の行動は落ち着いていきました。
夫 今振り返ると、なつかしい思い出です。
━━ 最近はどんな日々を?
夫 僕がDIYやモノづくりが好きなので、よくホームセンターにウィンドウショッピングに行きます。2人で作りたい物の寸法を図面におこしたりして、楽しんでいます。
妻 息子にとって主人の影響は大きくて、すっかりモノづくりが好きになりました。設計を学べる中学校に行きたいと言うので、いま勉強を頑張っています。
夫 その学校は、僕が入学したいくらいの機材があるんです。
━━将来の職業選択にもつながりそうです。
妻 二分の一成人式のときには、設計士になりたいと言っていました。休みの日には、家族で建物の博物館のようなところにも行っています。
お父さんの指導で、Y太郎くんが作った作品です。
━━ 毎日が充実していますね。
妻 Y太郎を迎えて、様々な方々から助けられてきたことに感謝しています。もともと我が家には私の母も同居していて、私が忙しいときはY太郎のお世話をよくしてくれました。今年2月に往生しましたが、Y太郎は私に叱られると、よく母の部屋に行って母の横に座って、好きなお菓子をもらって食べていました。
夫 養子を育てることに対して、親の反対はなかったよね。
妻 本当になかったね。理解がありました。母も子どもができにくい体質で、養子縁組をしたいと思っていたことがあったようです。父ともそういう話をしていたらしいのですが、そのうち私を身ごもり、縁組の話はなくなったようです。だから私の子育てをすごく応援してくれました。
━━ 周囲にサポーターがいらしたのですね。
妻 はい。母のほかにも、同じように縁組をした仲間や、児童相談所、施設の方など、私たち家族を支援してくださる方がたくさんいます。孤独な子育てが社会問題となる中で、本当にありがたいことだと思っています。
━━ 幸せですね。ところで、真実告知は、されているのでしょうか?
妻 3歳まで施設にいたので、本人は産んでくれた人が別にいることを分かっています。確か小学1~2年くらいのとき、なにかの拍子に「僕を産んでくれた人ってどこにいるの?どうして僕を育てられなかったんだろう?お金がなかったのかな」と聞かれたので、「そうだね、お金がなかったのかな、それとも病気だったのかもしれないね。いろんな事情があったんだと思うよ」と伝えました。
「会ってみたい?」と聞くと、「顔が見てみたい」という言葉が返ってきました。「大きくなったら探せるよ。ママたちも一緒に探すよ」と伝えたら、分かったというような顔をしていました。
そういう感じのやりとりを何回かして、彼の中で納得したのか、ここ3年くらいは、ずっとそういう話を一切していませんね。
夫 幼い頃は伝えなきゃと思っていましたが、今はY太郎が何かを言い出すまで、そのままでいいと思っています。
子どもも親も、日々葛藤を乗り越え、成長していく。
養子縁組里親さんに関心がある方へ
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