里親Story #07
中島善郎さん(40歳)
Yoshiro, Nakajima
「たとえ短い間でも、ここはキミの居場所だよ」
中島善郎さん(40歳)は約3年前から、妻の泰子さん(37歳)とともに、親からの虐待や親の病気や入院など、一時的に行き場を失った子どもたちを、短期で自宅に迎え入れています。迎えた子どもは、10人以上。2日間だけの子もいれば、数か月を一緒に暮らした子もいました。中島さんは「その子の人生の大変な一時期を、ほんの少し支えるのが短期の里親。多くの方に関心をもってもらえたら」と、話します。
(聞き手・文・写真=清水麻子)
中島善郎さん <2016年、東京都の養育家庭(里親)に登録>
なかじま・よしろう 自営業(自動車輸出販売)。日本人の両親のもと、米国カリフォルニアのベイエリアで生まれ育つ。大学卒業後は、虐待を受け精神に重い傷を負った子どもたちが暮らすグループホームに勤務。結婚を機に6年前、日本に移住。趣味は車、バイク、自転車、漫画。
※年齢は2019年7月現在
アメリカの施設で子どもたちの支援に携わってから、日本へ
━━里親になったきっかけから教えていただけますか?
中島さん 私はもともと子どもが好きで、米国では大学生の頃からサマーキャンプのバイトを経験してきました。大学卒業後は、5年くらい日本の児童養護施設のようなグループホームで子どもたちの支援に携わり、そこを離れた後も子どもたちとかかわりがある仕事をしてきました。里親はもともと関心があってやりたかったので、妻と話し合って里親登録をすることにしました。
━━最初から短期の里親を希望されていたのでしょうか?
中島さん はい。私たちは共働きなので、長期だと子どもとの交流期間などの関係で時間がとれないかなとも思いました。
━━登録されて、すぐに最初の子どもを迎えられたのでしょうか?
中島さん そうですね。登録して1か月くらいして、児童相談所から、「一時保護された7歳の男の子を今日から10日ほど受けてもらえませんか?」という依頼がありました(※)。
(※)一時保護とは:保護者からの虐待が疑われる場合など、子どもを家庭から引き離す必要がある場合に、児童相談所長の判断により、原則2か月以内の間、子どもを一時保護所や児童福祉施設、養育家庭(里親)等で保護する措置のことです。 一般の人が一時保護先として子どもを自宅に迎えるためには、まずは里親登録をすることが必要です。子どもを一時保護している間は、里親夫婦のどちらかが、その子の養育に専念する必要があります(中島さんの場合は善郎さんが自営業のため、養育に専念できる環境にあります)。 また、里親登録の日から初めて子どもを受け入れるまでの期間や、実際に子どもを受け入れる期間は、子どもや保護者、里親を取り巻く状況が総合的に考慮され判断されるため、ケースバイケースです。 |
その日はサンクスギビングデー(感謝祭)をうちで祝った翌日のことで、冷蔵庫に七面鳥がありました。突然のことだったので、不安で泣きそうになっているその子に、七面鳥の夕食を提供することになりました。その子は食べてくれましたが、おそらく食事で不安は高まったと反省しており、それから我が家に来た子どもたちの初日のご飯は、カレーライスにしています。
子どもたちと一緒に食事を作ることもあります。
━━何人くらいのお子さんを受け入れてこられたのでしょうか?
中島さん もう10人以上になります。男の子、女の子、人見知りの子、社交的な子、幼稚園生、小学生、中学生、高校生などです。親の病気や入院、虐待など、ここに来た理由もさまざまです。ほかにも、別の里親さんのもとで暮らしているお子さんを、里親さんのレスパイトのためにお預かりしたこともあります。
━━お子さんたちは、中島家でどんな様子ですか?
中島さん 子どもからすると、親から離れて知らない場所で過ごすというだけでも不安なものです。小さい子はだいたい、初日は泣いています。やっぱり中島家にいる間は、親のことを思っている子が多いです。
お母さんの入院中の2か月間、ここで過ごした5歳の男の子がいました。彼は前向きな子で、弱音を言わず泣きませんでした。でも、一緒に散歩に行く途中で見かけた神社、お寺、お地蔵さんで彼は必ず手を合わせ、「お母さんが元気になりますように」と祈っていました。中島家にいた2か月で祈った数は、軽く100回を超えていたと思います。そういう姿を見ると、やっぱり心配はします。でも、ここにいる間はうちが保護者になるので、一緒に遊んだりして、気持ちを切り替えるようにします。
中島家で数日を過ごした子どもが、残していった作品です。
初日はドアプレートを一緒に買いに
━━中高生も、受け入れてこられたんですね。
中島さん はい。大きい子どもたちには、手芸の材料を買えるお店に子どもと一緒に行き、部屋のドアに掛けられるドアプレートの材料を選んでもらいます。そして自分が好きなデザインでドアプレートを作ってもらっています。
みんな個性的なものを作っています。私たちは「こうしたほうがいいんじゃない?」などの意見はあまりしないで、子どもたちが自分で思い描くものを、手伝います。終わり次第、ここにいる間、その子が過ごす部屋のドアに掛けます。たとえ数日から数か月の短い期間だとしても、その部屋は彼らが居るべき場所だと少しでも思ってもらいたい。それが、我々の願いです。
━━短期とはいえ、里親としての力量が問われそうです。
中島さん そういう部分はあるかもしれません。子どもをよく見ていると、生活で困っていることに気がつくこともあります。視力の悪さに気づいて、児童相談所に連絡し、一緒に眼科に連れて行ったこともありました。
昨秋、家庭の事情で一時保護が必要になった中学生の女の子を預かりました。彼女は、小学生の頃から不登校で、学校にもあまり行っていなかったようです。でも、うちにいる間は、なるべく学校に行こうと約束しました。頑張って起きるのを練習し、2時間くらい遅れて登校することもありましたが、我が家にいた1か月、毎日欠かさず学校に行きました。彼女は、人生で初めてのことだったと言っていました。
━━中島家で過ごしたときが、次のステップに繋がると嬉しいですね。
中島さん そうですね。でもステップに繋がらなくても、安心・安全な場所を提供することができ、ここにいる間、楽しんでくれればいいと思っています。
昨年秋に、17歳の女の子を5日間ほど、お預かりしました。実家庭に頼れず1人で東京に来て、アルバイトをしながら暮らしていました。朝5時半から歩いてバイト先に通い、バイトが終わってからも歩いて帰宅していました。バイト先で提供される賄いが、その日たった1回の食事だったという日も少なくなかったそうです。
彼女は働いていたこともあり、自己紹介されたときに私は何気なく「大人だね」と言いました。しかし考えてみたら、彼女を守るべき大人が原因で彼女は今の状況になっていたので、次の日、彼女がバイトから帰ってすぐ、「おじさん、昨日はあなたのことを大人だといったのは間違いだった。この家では、あなたは子ども。子どもはこの家では保護されている。うちにいる間は、子どもっぽくしていていいからね」と謝りました。
その後、一週間くらいで自立援助ホームが見つかり、彼女はそこへ引っ越しました。
行く直前まで2人でトランプをして遊び、大負けして悔しがっていた彼女は、本当に子どもっぽかったです。でも、大人の世界で働いてきただけあって、ちゃんとしたお別れの挨拶ができたのも、彼女だけでした。
━━ 一期一会ですね。
中島さん そうですね。いつか大きくなったときに「あれはどのこのおじさんだったんだろう?」とか「どこの親戚だったんだろう?」くらいで、思い出してくれるときがあるといいなと思います。
子どもたちの”その後”は、基本的に知ることができない
━━ 一度、中島家に迎えた子どもたちが、その後、元気に過ごしているか知りたいとは?
中島さん 思います。でも子どもたちが、中島家を出てからの情報は基本的に得られません。なので、そこは覚悟が必要ですね。英語では「Empty Nest」(エンプティー・ネスト)というのですが、最後の子どもが大学か自立で家を出て、家が親だけの状態になり混乱する感覚を意味します。うちはこの状態を、子どもがいなくなるたびに、何度も経験しました。
━━短期の里親を、里親に関心のある方にお薦めしますか?
中島さん 短期の里親の良さは、次の子どもの受け入れまでに余裕があるところです。その間、休むことができますし、前回、迎えた子どもと何がうまくいったのか、何が足りなかったのか、次に来る子どもに対して、どうやったら子育てをよりよく出来るのかを夫婦でじっくり話すことができます。
我が家に来る子どもたちと自分たち夫婦がだいたいうまくいっているのは、児童相談所のスタッフが気を付けてマッチングをしてくれているからだと思います。長期の委託を受ける前に、短期の里親として子どもを迎える経験をするというのも、ありえると思います。
里親に興味がある・なりたい人へ 中島善郎さんからのメッセージ
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