里親Story #05
T美さん(44歳)
「私、子どもを産みたかったんじゃなくって、育てたかったんだ」
結婚して家庭に入り、子どもと一緒に食卓を囲んで――。人生にそんな夢を抱いていたT美さんが、「血の繋がらない子の里親になろう」と思った直接のきっかけは、不妊治療に成果が見えないことでした。6~7年もの間、つらい治療を続けて、一度は妊娠したのもつかの間、流産を経験します。「これからどうやって生きていけばいいのか分からない」と悩んだT美さんですが、気を取り直し、さまざまな経験を積むうちに、実の親が育てられない子どもの「里親になりたい」という気持ちが芽生えるように。現在は、里親として5歳の男の子の子育てをしながら幸せな日々を送るT美さんに、心境の変化を聞きました。
(聞き手=いのうえりえ、文=清水麻子)
T美さん <2012年、東京都の養育家庭(里親)に登録>
専業主婦。31歳で結婚するまでは、会社で事務職として働いていた。現在は、A君(5歳)の里子育てを楽しんでいる。趣味はスポーツ。ストレス解消のため週に2~3回、スポーツジムに通って体を動かしている。
※年齢は2018年12月現在
「死んでしまいたい」と思うほど、つらかった不妊治療
━━里親さんになったきっかけから、教えていただけますか?
T美さん 私は昔から子どもが好きで、結婚したら子どもが欲しいと思っていました。31歳で同じ会社に勤めていた夫(現在44歳)と結婚して家庭に入りました。でも子どもを授かる気配はありませんでした。念のために夫婦で不妊検査を受けたところ、夫のほうに精子がないという問題があることが分かりました。高度な不妊治療まで経験し、奇跡的に妊娠することができましたが、3か月で流産してしまいました。
━━つらかったですね。
T美さん はい。流産したとき、情緒不安定になり、歩いている妊婦さんを見かけるだけで心にモヤモヤした思いを抱えてしまったことを思い出します。「これからどうやって生きていこうか」とか「このまま死んでしまいたい」と思ってしまうくらい、つらかったです。
顔を真っ赤にして、抱っこを求める乳児院の子に会って
━━そのような中で、どのような経緯で養育家庭(里親)に登録したのでしょうか?
T美さん ある日、気を取り直して、何か子どもにかかわることをしようと思い立ちました。インターネットで情報を収集していたら、偶然、近所の乳児院がボランティアを募集していることを知り、応募してみることにしました。採用されたのでボランティアを4~5年続けました。実の親が育てられない子どもがこんなにいること、そして、そんな子どもたちが特定の大人からの愛情を待ちながら暮らしていることを知りました。この経験は、「ただ子どもを育てたい」と思ってばかりいた私の視野を、大きく広げてくれました。
乳児院には、具合が悪くて顔を真っ赤にして抱っこを求めて泣いているのに、職員の手が足りず、抱っこをしてもらえない子もいました。ふつうだったら親に抱っこされている年齢の子です。顔を真っ赤にして、何かを訴えかけるように大人を求めている……。私は、なぜか涙が止まらなくなりました。自然に「私は、こういう子どもを救える人になりたい!」という気持ちが湧いてきて、次第に「里親になろう」という気持ちが固まっていきました。「私は自分の子どもを産みたかったのではなく、こういう子どもを育てたかったんだ。血の繋がりなんてどうでもよかったんだ」ということに、気づいたんです。
同じように不妊治療を経験した人で、「特別養子縁組」(※「養子縁組里親Q&A」を参照)を望む方は多くいます。でも、なにより「困ってる子どもをとにかく救いたい!」という思いのほうが大きくなったので、「養育家庭(里親)」(※「養育家庭(里親)Q&A」を参照)のほうに登録することにしたのですが、結果的に、本当に良かったと思っています。
━━ご主人は、社会的養護の子どもを育てる気持ちの切り替えはできましたか?
T美さん 夫は私の気持ちの変化に追いつかず、最初は里親になることを躊躇していました。でもある日、子どもがいなくて犬の話ばかりする取引先の方と話す機会があったようで、「老後の生活が犬だけでは俺は寂しい。やっぱり里親になろう」と賛成してくれました。
子育ては、人が生きることを助ける、貴きもの。
「早く会いたい!」と面会を心待ちにしてくれたとき
━━実際に里親になってみて、いかがでしたか?
T美さん 最初に委託されたのは、まもなく小学生になるというS君でした。ちょうど小学校の入学を控えていたので、ランドセルを一緒に買いに行ったりして入学準備を進めました。ところが、委託から1週間くらいしてから、言動や行動に気になるところも出てきました。頑張って努力したのですが、相性が合わず、結局S君は3~4か月、うちで過ごして施設に戻ることになりました。
残念な結果となってしまいました。当時は落ち込み、半年くらいは、子どものことを考えないようにして過ごしました。でも、少し落ち着いた頃、夫と話し合って「やっぱりブレずに、大人を必要としている子どもを迎えよう」と、気持ちを入れ替えました。そうこうしているうちに児童相談所から2歳半(当時)のA君が紹介されました。
A君は、私達の自宅から片道2時間はかかる乳児院に暮らしていました。平日は私が面会に出向き、仕事が忙しい夫は週末に会いに行くという暮らしを3か月ほど続けました。最初、A君は私たちの顔すらも見てもくれず、乳児院の保育士さんにくっついて指しゃぶりばかりしていたんです。
でも徐々に慣れていき、1か月ほどたったころから私を「お母さん」と呼んでくれるようになりました。それからは「早く会いたい!」と面会を心待ちにしてくれるようになりました。私は、心がなんだかわくわくしていました。
━━嬉しい変化ですね。現在、A君との暮らしはいかがですか?
T美さん 今、一緒に暮らして3年以上が経ちます。最初の頃はスーパーの前で大泣きしたり、スイカなど売っている商品をたたいたりして困らせたことはありましたが(笑)、今は生活に関しては手がかからなくなっています。A君は、私のことをすごく慕ってくれていて、「お母さん、大好き!」と言って、いつも私の後をついてまわってきます。
A君は知的好奇心が旺盛な子で、幼稚園などで耳から入った知識もすぐ吸収するところがあります。テレビもなぜか教育番組系のものが大好きで、「お風呂に入ろうよ」というと、「今、勉強しているから。ちょっと待って! 終わったらお風呂に入るから」と言って、私を驚かせます。子どもの可能性を実感する日々です。
夫もA君のことが大好きで、もう少し大きくなったら一緒に野球をしたいと言っています。嬉しいのは、夫の会社に理解があることです。「里子を育てている」ということを言うと、同僚や上司、そして本社の経営陣の方から「がんばれよ」というメッセージをもらったそうです。そんな話を聞くと、私もあったかい気持ちになります。私も、A君を通して知り合ったママ友が増えて、毎日が楽しいです。里親をやって本当に良かったと思っています。
Aくんは、ミニカーで遊ぶことも大好きです。(写真=清水麻子)
里親になりたい人へ T美さんからのメッセージ
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